コロナ禍アンケート

 

こののち百年、千年、いえ人類史が続く限り、あれが大きなエポックであったと振り返られる地点に、私たちは立っているのではないでしょうか。

みなさまの声を……

コロナ禍とは何か。政治、経済、社会、文化……、人間とその生のあらゆる局面を巻き込んで進行するこの事態は何を意味するのか。

全体的な処方箋を用意することは不可能としても、いま何を考えておくべきなのか。押さえておくべき状況の焦点とは何なのか。


末木文美士  災厄、終末、未来、都市

1 コロナ禍を終末論から見る

この度のコロナ禍に関して、二つの短文を著した。「新型コロナウイルスと今日の課題」(『仏教タイムス』本年4月16日号。同社のウェブサイトhttp://www.bukkyo-times.co.jp/ に再録)並びに「終末論と希望」(7月刊行の論集に収録予定)である。本稿では、まずそれらの要旨を記したうえで、それらを補いつつ、議論を発展させたい。まず、前掲二編の要点を記す。

新型コロナウイルスによる感染症COVID-19の世界的蔓延(パンデミック)は、それだけで単独の問題として見るべきではない。地球環境の極端な悪化、それに伴う災害の激化、少子高齢化、経済的格差の拡大など含めて、総体として捉えるべきである。強靭化したウイルスはまた確実に襲ってくるであろう。そのような事態は、人類全体が全盛期を過ぎて、衰退期に入った可能性をうかがわせる。つまり、個人の体力と同じように、病気や災害を乗り越えて復元する基礎力が人類全体として弱りつつあるのではないか。

このような事態において、これまでの科学的合理主義に基づき、歴史の進歩を前提とする近代的世界観がもはや成り立たないのは明白である。経済発展至上主義も成り立たない。人類が成長期、絶頂期を終えて緩やかな衰退期に入ったとすれば、その最後を見越した終末論を考慮に入れることは不可欠である。世界終末時計が最後の一分に近づきつつあるとき、終末論は決して奇を衒ったSFレベルの問題ではなく、現実的な哲学の問題として向き合わねばならない。

終末論を正面から受け止めながら、歴史の再構築へと向かったのが、慈円(1155―1225)の『愚管抄』であった。慈円の歴史観にはいくつかの終末論が重層している。第一は、当時広まっていた末法説であり、第二は、この世界が成劫じょうこう(成立)・住劫(継続)・劫(崩壊)・空劫(空無)の四劫を繰り返すという四劫説で、現在は住劫にあると考えられる。第三は、王(天皇)が百代で尽きるという百王説で、慈円はこれをもっとも重視している。当時は84代で、残りは16代である。慈円はそれを認めた上で、しかし、ちょうど百帖の紙を使って、残り少なくなったら紙を足して補うことができるように、天皇と臣下が協力して善政に努めることで、王統の寿命を延ばすことができるという。そこに、終末論が単なる絶望に終わらず、希望を生む可能性が示される。

このように、慈円は終末論を正面から受け止めながら、持続可能な道を求めようとした。そのような態度は現代においても成り立つのではないか。人類が基礎体力を弱らせ、衰退する可能性を持つとすれば、もはや強引な体力任せの粗暴さで進むのではなく、終末を念頭に置きながら、終末に突っ走らない持続可能性を慎重に考えるべきではないのか。

慈円の歴史観のもう一つのポイントは、歴史は人間の考える合理性だけで成り立つものではなく、目に見えない「みょう」の力を考えるべきだと説いたところにある。これも重要な意味を持つので、後ほど少し補足して考えたい。

 2 終末論と未来のアポリア

以上がこれまでに論じてきたことの要旨である。それを踏まえて、いささか補足しつつ、新たな問題へと展開したい。まず、時間の重層性ということである。歴史の一方向的進歩論が成り立たないのと同様に、終末論もまた決して単純な決定論ではない。慈円の場合を考えてみれば、そこには四劫説、末法説、百王説という三つの終末論が重層していた。その中で、慈円が直接切実な問題として対応したのは、もっとも現実的な百王説であった。

今日、終末論として想定されるレベルも重層的である。もっとも大きなスケールでは、宇宙全体の終末ということが考えられる。カントによって、この世界の始まりと終わりを問うことはできないとされた。ところが、今日の宇宙物理学は、宇宙の始まりと終わりを科学の問いとして可能とした。さらには、この宇宙が終わった後、別の宇宙が生成する可能性までもが議論されている(『Newton』2020年2月号・特集「宇宙の終わり」参照)。仏教の四劫説が単なる非科学的な空想とは言えない段階となっている。

このような終末は、一見すると、あまりに茫漠として、今現在の問題とはなりにくい。けれども、宗教的に見れば、宇宙の終わりもまた今ここに現前する。『碧巌録』第29則「大隋劫火洞然」は、「(壊劫の終わりの)劫火が燃え盛る時、これ(この主体)は壊れるのか」という問いに対して、大隋たいずいは「壊れる」と答えている。これは、宇宙全体が崩壊する最後の宇宙的大火災を、今ここの自己の主体の危機的問題として提示するものである。

しかし、現実的に対応を求めるという意味での終末論の問題は、それとはレベルが異なる。どんなに手を尽くしても免れえない地球や宇宙の終末は、さいわい今のところ切実な問題とはなっていない。ここでは、科学の進展や経済の発展の結果もたらされた負の遺産が、人類をむしばみ、絶滅の危機へと追いやろうとしている終末の可能性である。慈円の譬喩で言えば、百帖の紙を使い続けて残りわずかとなった状態である。そこにどのようにして新たに紙を補い、持続できるだろうか。

あえてそれを人類の衰退期というのは、言い過ぎのように聞こえるかもしれない。しかし、人類もまた、個人と同じように、青年期・壮年期を経て老年期に向かうということは、あり得るのではないか。自らの死を意識しない青年期の体力任せの不摂生や無理が、やがて身体を弱らせるのと同じことが、人類全体についても言えるのではないか。少なくとも、ある時点からは、自己の能力の全開よりも、健康に留意する持続可能性へと目標を転換することが、どうしても必要になってくるであろう。それは、個人の老年期が死を意識することで、逆に豊かなものになるのと同様に、人類の終末を意識することで、逆にその持続の質を高めていくことができるのではないだろうか。

もう一つ、慈円の歴史観で重要なのは、「冥」なる神仏や死者が歴史に関与することを認め、人間の合理性だけで歴史を解釈しないことであった。とりわけ歴史における死者の問題は大きい。それは、今日においてもまったく変わっていない。それと同時に、前掲拙稿で指摘したのは、過去の死者とともに、未来のいまだ生まれざる者に対する責任という問題である。このことは、一見当然のように見えながら、理論的にどう基礎付けられるかということになると、なかなか難しい。

死者は、個として過去に痕跡を残している。彼らは抜き差しならない事実をもって私に迫る。それに対して、未来のいまだ生まれざる者は、どういう形で私の前に現われるのか、あるいは現われないのか。自分の子供や孫の代くらいならば、まだ具体性を持つ。しかし、そこから50年先、100年先に生まれる者となると、茫漠としてきて、現実味が薄れる。しかし、だからと言って彼らに対して無責任であってよいのかというと、それはあり得ない。核廃棄物の貯蔵には、10万年先の未来まで安全を考慮しなければならないとされる。

終末という未来、そしていまだ生まれざる者という未来――いずれをとっても、未来を問うことは、私たちの時間観念の常識を大きく打ち壊す。未来は決して現在を挟んで過去と等質の時間としてあるのではない。未来は、過去とは次元が異なる問題として考えなければならない。バラ色であろうが、暗黒であろうが、未来について語る時、常に不確かで、危うさといかがわしさが付きまとう。それを描こうとすると、SF的な予言のようになってしまう。

だが、それを語ることが意味をなさないわけではない。逆に未来こそ切実な問題である。おそらくそれは、多様にばらまかれた可能性の中から、どれを選択していくかという問題になるのであろう。その点で、多様な可能世界の実在を認めるデイヴィッド・ルイスの複数世界論は検討される価値がありそうだ。さまざまな可能性の中から、終末を選ぶのか、それとも持続を選ぶのかという選択を迫られることになる。

その結果が現われる未来において、私自身はもはや不在の死者となっているであろう。私が不在であるような世界に対して、私はどのような責任をもって関わることができるのだろうか。過去の死者と現在という場で直面しなければならないのと同様に、未来という場で、私という死者が未来の生者に直面することになる。未来は本質的に奇妙な矛盾を孕んだところに成り立つ。

 3 都市と時間

だが、未来を選択し、構築していくとき、それは無からの創造ではない。常に過去が参照されることになる。その点で、未来は直線的時間の先にではなく、循環的時間の中で過去に戻りつつ、螺旋を描くことでしか、先へ進むことはできない。たとえ今日の状況が未曽有のことであり、またAI技術の進展など、過去のどの時代にも想定されなかった事態が正面に躍り出てきたとしても、過去の経験の蓄積を無にすることはできない。

このことを、やや唐突だが、京都と東京という二つの都市の比較でみてみよう。個人的なことだが、私はここ10年ほど京都と東京を往復する生活を続けてきて、二つの都市が正反対の性格を持っていることを知った。京都はまさしく過去の蓄積の上に築かれた都市であるのに対して、東京は過去を消し去り、新しいことを上書きしていくことで成り立つ都市である。

京都は過去の千年を越える歴史の中で、何度も疫病・地震・水害・火事・飢饉・戦乱などに見舞われながらも、それを乗り越えて粘り強く文化を持続させてきた。寺社だけでなく、街並み自体が千年の間に変化しながらも、それぞれの時代の痕跡をとどめ、すべての時代が重層化されて、地層として蓄積されている。盆地という制約によって拡張に限界を持つことで、みやこの機能はハブ的な役割に限定されて、周縁の地域とのネットワークが形成され、それが長い時間の中で定着してきた。そうした構造が耐久性を持つことで、数多くの厳しい災厄を乗り越えてきた。ちなみに、京都の最大のアキレス腱は琵琶湖であり、万一福井の原発に事故があって琵琶湖が汚染されれば、京都のみならず関西一円が壊滅する。

それに対して、東京は過去を消すことで、都市形成をしてきた。江戸は東京と名前を変えることで、将軍様のお膝元から帝都へと変身した。過去は清算され、リセットされる。江戸の名残は限定された地域に押し込められた。広大な関東平野は境目を持たず、首都圏として平板化、等質化されてどこまでも広がる。自然や歴史によってではなく、オフィス街、住宅地などの機能によって地域が色付けされる。東京もまた、関東大震災や空襲から立ち上がってきたが、その痕跡はごく一部のところにしか残っていない。

今日、東京に一極化して首都圏が巨大化し過ぎた状態は、さまざまな災害を考えると、極めて危険である。東日本大震災の時には多数の帰宅難民で混乱した。乱立する巨大なタワーマンションは、2019年の台風19号でその脆弱性が明らかになった。今後、おそらくこれまで以上に大きな災害や疫病の流行が予想される。過去の歴史を顧みずに、検証を経ないままにひたすら新しいものに突っ走る危険は、すでに十分に知られている。にもかかわらず放置され続け、そればかりか、リニア新幹線のような形で他の地域にまでその弊害を及ぼそうとしている。終末は間違いなくごく手近なところに迫っている。それを避けようとするならば、歴史の検証を踏まえつつ、一極集中から多極化へと進まなければならないのは、もはや待ったなしの課題である。

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山内志朗  断末魔の苦しみも……無駄に経験されるのではない

新型コロナに対してはさまざまなな対処策が考えられている。集団的免疫獲得による免疫学的対応法、ワクチンによる有効な予防策と、治療薬の開発による有効な対応策、接触回避のための社会的な行動制御、惨憺たる状況にある経済システム復興のための有効な政策、いろいろと考えられている。

哲学は、新型コロナに対してどのような対処法を持っているのか。解決に少しでも寄与しようと思うあまり、ただし医学的な貢献はもとより不可能と思うあまり、お百度参りをしたとしても、事態が進展するわけではない。

アフリカや南アメリカにおける急激な感染の拡大を見ると、世界的に状況が改善しているとも思えない。とはいえ、世界は動きつつある。五月の連休も終わり、ヨーロッパではポスト・コロナに向けての取り組みが始まりつつある。日本でも緊急事態宣言の緩和が模索され始めた。

もちろん、有効な治療方法が確立しないままの外出禁止令解除は、再び新規感染者の拡大を引き起こすことを覚悟しなければならない。その意味では、新型コロナウイルスとどのように共生していくべきなのかが問われる局面に入ったと言えるだろう。

哲学は新型コロナに対して、無力なまま観照(テオリア)を重ねるしかないのだろうか。私は、未来という非存在が現在という存在に対して持つ関係がどうなるのか、新型コロナを通して考えてみたい。ポスト・コロナという時代を考えるべきなのか、コロナとの共生を考えていくべきなのか。

 1 危機の中で

フッサールは『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』の中で、「生活世界」の概念を強調した。「数学の基礎付けをめぐる危機」という問題意識の中で、厳密学としての哲学という課題を追求するところから生まれた着想であった。しかしながら、当時の人々の意識においても、古い学問である哲学が諸学の基礎付けのために何ができるのか、この問題意識に対しては懐疑的傾向が強かったのではないのか。

現実の危機を乗り越えるのに直接貢献したいと思えば、時代と歩みを共にする必要がある。その場合、古いものが、新たな装いをもって、新しいものとして現れるということには、人文科学の存在意義がかかっていたと思う。だから、哲学が時代遅れを恥じてはもはや哲学たり得ないのだ。ともかくもそのような状況に当面しながら、フッサールは、厳密学としての哲学という理念を求めたことになる。

私もまた、後期フッサールの現象学に、若い頃影響を受けた。フッサールが現象学に託したものの中でも、「危機」を乗り越えるために創出された、学問の起源としての「生活世界」という概念との出会い、これは私にとって衝撃であった。この後、私自身が現象学の書物を紐解くことはなくなったのだが、フッサールが現象学の改善に取り組もうとしていた、その問題意識に心を向けたいという思いは、いまも強く残っている。

哲学は危機(Krisis)において、あるべき場所を見出す。危機こそ、哲学の境域(Element)なのだ、空が鳥にとっての境域であり、水が魚にとっての境域であるように。危機、それは滅亡と破壊の可能性が現れているときだ。だが、危機とは非存在への傾斜のみから成り立っているものではない。

危機とは、ヘルダーリンが「パトモス」において、「危険(Gefahr)の住まうところ、救う力もまた育つ」と述べたように、救済の可能性をも含むものでなければならない。生命も存在も、常に死と非存在と無への可能性にさらされながら存続することなのである。

危機とは何か。それは、繁栄と没落、生と死、天国と地獄、そういった選択肢の両方が与えられ、そのどちらを選ぶのかという決断が求められている状況のことだ。

哲学の衰頽すいたいは、ヨーロッパ中心主義を根拠づけるという文脈において、ヨーロッパにあっては重要な論点であった。すなわちヨーロッパをギリシアの正統なる後継者であると位置づける場合、その継承は発展的なものか、それとも衰微を避けられないものと捉えるか、これが試金石となるからである。アリストテレス以来、哲学は厳密学としての位置を与えられてきた。それは、それ自体で効用を持たないとしても、他の学問を正当化する、そして基礎づける権威を持つことで、存在意義を有していた。それは、ローマ教皇の位置、世俗権力の長たる皇帝や国王への権威付与に果たした役割と対応していた。

 2 外部性ということ

聖俗の交換現象、つまり聖俗の権威付与が聖職者によってなされるということは、西欧世界のみに特徴的なことというわけではない。日本においても、山岳という異界に住む者が平地に住む者に世俗的権威を付与する際の起源として機能していたことを考えてもよい。事実は事実としてある限り、事実の中で際立った卓越を示すことはできない。卓越性は事実の外部から与えられるのである。だからこそ、神話や説話などで外部の他者が歓待されることが多かったのだろう。

外部との交流、外部からの流入こそ、閉じられた領域の中に新しい価値や権威の顕現を成立させるのである。すべて内部と外部との交流から存在は始まる。そして、非存在も未来も、存在と現在にとって、常に大きな他者であり、到達し得ない他者なのだ。

フッサールにおいて、厳密学への期待はその思考と学問の大きな推進力となっていた。その理念を、フッサールはカントの超越論的哲学から得たのであろう。だが、カントの目指していたものは、普遍性と必然性を持った知識体系としての哲学だったのか、そのことは今でもなお、改めて考える必要のある論点である。観念論という名前によって、中世後期の唯名論からカントに流れ込む巨大な潮流、「外部性の形而上学」――暫定的な名称だが――の系譜は隠されてしまう。

カントが理性概念(理念)として提示したものは、人間理性の認識の限界を超えるものとして、統整的に機能するものだった。「統整的」という概念をここで解説するつもりはないが、確認しておきたい大事な点は、世界の中に存在するものだけが、世界に力を及ぼし、構成するのではないということだ。

カントの理念は、対象世界を構成的に考察し、再現しようと思えば、必然的に挫折せざるを得ないことの強調、すなわち近代の人間理性に対する自戒を求めるものだったと見ることもできる。理性が増長しすぎれば、人間は滅亡に近づいていくという黙示録的ヴィジョンをカントも持っていたのではないだろうか。

滅亡への危惧は、中心部に住まう限り見えにくい。雇用と産業と経済活動の中心にいるとき、世界の滅亡は感じられない。しかし、地方の限界集落に立つとき、人類滅亡のリアリティと恐怖を強く感じる。地方の山奥の村々に人々が住むことなく、滅びていき、都会にのみ人が住み、そこがウイルスによる感染症で滅亡していくというヴィジョンは、『ヨハネの黙示録』を紐解かなくても、我々に与えられていると思う。文字で書かれているのではない、リアルな出来事としての黙示録を我々は今、読まされているのである。

 3 黒駒太子

ある祈りの姿を思い出す。新潟と長野の県境に広がる秋山郷には黒駒太子信仰という独自の宗教形態がある。鈴木ぼく『秋山記行』『北越雪譜』でよく知られるようになったが、この地に黒駒太子という民間信仰がある。黒い馬に乗った聖徳太子の掛け軸をめぐる信仰である。豪雪地帯である秋山郷では菩提寺から引導師と僧侶がこられないので、土地の人が持っていた「黒駒太子」の掛け軸を「死者の上に二、三回廻す」という引導作法があった。その掛け軸は、太子が「黒き馬に乗って傘をさして天へ登る」図柄である。

死者の引導儀礼に用いられたということは、葬送儀礼として他の地では一般的でないとしても、理解できる作法である。重要なのは、疫病や狐憑きでもこの黒駒太子の掛け軸で「平癒必ずする」と考えられ、その掛け軸によって病人を祈禱する場合、「多く全快すると聞こえて」と『秋山記行』に記されている。黒駒太子の掛け軸によって、疫病人を占ったのである。

ここにおいて黒駒太子は、死者を彼岸に送り届ける働きと、生きる者をこの世に引き戻し、平癒に導くという相反する機能を持っている。黒駒太子は、生と死との境界を司る者である。境界はいつも二義的である。越えるべきものは送り届け、越えざるべきものは送り返す。黒駒太子は、地上を飛び立ち、天に飛翔する使者であった。

黒駒太子は、病者を救い、健康をもたらすという働きだけではなく、死すべき者を早くあの世に送り届ける機能をも持っていた。これは、ヒポクラテスが考えていた「クリシス(crisis)=分利」ということと似ている。この「分利」という概念は重要だ。病気における「峠」を意味する。病気の進行における段階の一つであり、この時点で患者が病に屈して死を迎えるか、自然治癒力によって回復するかが決まると考えられていた。

ヒポクラテスにおいて、健康は四大体液の調和によって成り立ち、病気とは四大体液の不調和から生じると考えられていた。病気を治療するというのは、自然治癒力によって調和した状態に戻ることと考えられていた。

悪魔によって病が生じるとすれば、悪霊払いが治療の基本形となるが、ヒポクラテスのように調和が健康であって、医術とは自然治癒力が発現することへの手伝いであるとする立場では様子が異なってくる。
危機は、幸福な結果をもたらすだけではない。にもかかわらず危機は乗り越えるべきものとしてある。

 4 アルカディアはあるのか

「我もまたアルカディアにありき」という有名な誤訳がある。Et in Arcadia ego. というのがラテン語の原文だが、これは「私(死)はアルカディア〔という理想郷〕にもいる」という意味で、「死を忘れるなかれ(メメント・モリ)」という主題の変奏曲なのである。

ニコラ・プッサンの絵によって「我もまたアルカディアにありき」という言葉は有名になり、誤解が広まったが、幾度もその誤解は指摘されてきたから強調すべきほどのことでもないだろう。

新型コロナに対して、我々はどのように対処すべきなのか。緊急事態宣言が出た三月、延長が決まった四月など、刻々変化する事態に合わせてそのつど変容していく言説について語ることは、「未来哲学」に似合わない。現在の現実に振り回されるのであれば、「未来哲学」を名のる必要はないからだ。

現在が葬られた後にも未来という「花」が咲くことを求めて「未来哲学」はあるはずだからである。死者を送る葬礼は同時に生まれきたる者を迎える歓迎の儀式にならなければ、死者は成仏することができない。私はそう思う。不安の中で恐れおののくだけでは、未来を正しく迎えることはできない。

新型コロナウイルスに侵された肺炎によって、呼吸もままならぬまま亡くなった人々の断末魔の苦しみを思いながら、生まれ出ることも死んでいくことも苦しみを免れられないとしても、それは無駄に経験されるのではない、ということは心の中で祈りたいのだ。苦しみは無駄に経験されるものではない(Tristitia non frustra patitur)。「自然は何も無駄に創造したのではない(Natura nihil frustra facit)」という格率は、ライプニッツの「理由のないものはない(Nihil est sine ratione)」を支えるものになる。とはいえ、ポルトガルの大地震を経験して、ライプニッツの立場を能天気な楽天家のそれとして嘲笑したヴォルテールを忘れているわけではない。

我々は悲観的にも楽観的にも未来を見るのではなく、「非情」に見つめるだけの度量が求められているのだ。ペスト(黒死病)によって近代が登場したという帰結主義的な、終わりよければよし、という見方は採りたくない。未来はいつも新しくきたる者たちのための楽園であるとともに、死者たちの墓地でもあるべきだと私は思う。そう思わなければ、今を生きる者は心安らかに死んでいくことはできない。地球、いや世界、宇宙も〈存在〉そのものも、いつも楽園であるとともに壮大なる墓地なのだ。

私もまたコロナに心は掻き乱され、アパテイア(無情念)にたどり着くことはできない。しかし、私はアパテイアを求めようとは思わない。煩悩即菩提、煩悩のうちに死すことしか菩提はあり得ないと思うからだ。私は湯殿山の風と水が自分のうちに流れていることを感じ、それを感じながら生きている。そして、コロナと共に生き、場合によってはコロナによって死すことも覚悟しなければならない。いやコロナに罹ることがなくても死すことは必然である。この当たり前のことを当たり前として見ること、これは簡単でもあり、難しいことでもある。心は千々に乱れながら、私はコロナ禍が歴史の古い一頁になることを願わずにはいられない。

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中島隆博    わたしに触れるな、わたしは触れる

コロナ禍が突きつけているのは、医学的、公衆衛生的な生存や経済的な配分や補償といった問題だけではない。むしろ、その根底にある人間の生のあり方や生の形を問うているように見える。

典型的なのは、「隔離」や「社会的距離」ということだ。人に触れてはいけない。なぜなら、他人もわたしも「潜在的な」感染者かもしれないからだ。ここに「清潔さ」が重なってくると、より厄介なことになり、汚い他人と清潔なわたし、さらには自分自身もひょっとして汚れているのではないかというループが駆動してしまう。人に触れてはいけないし、自分の顔にも触れてはいけない。他人がわたしに触れるのはもってのほかである。わたしに触れるな。

「わたしに触れるな(ノリ・メ・タンゲレ)」。これは復活したイエスがマグダラのマリアにかけた言葉だ。元のギリシア語(メー・ムゥ・ハプトゥ)と文脈を考えると、それはノリ・メ・テネーレつまり「わたしにこれ以上しがみつかず、父である神のもとに行かせてくれ」という意味でもあるそうだ。この場面を描いた絵画はいくつもあるが、それを見ると、イエスとマリアの間には実に激しい直接性とその切断が交叉している。

それに対して、今わたしたちはどうなっているのだろうか。韓国の教会やイスラエルのユダヤ教正統派の集会において感染が一挙に広がったことはまだ記憶に新しい。Religionの語源に関しては諸説あるが、そのひとつである「再び繋ぐ」「繰り返し繋ぐ」という意味を念頭に置くならば、人と人とを繋ぐことで担保される宗教性は大きな危機を迎えたことになる。

議論の重要な焦点は葬儀である。アメリカの介護施設で、コロナウイルスに感染したかもしれない遺体が、葬儀ができないために積み重ねられているという。しかも、葬儀といっても遺骸に触れることもできず、故人との別れに集うことも制限されている。しばらく前になるが、友人の哲学者が亡くなった際に、はじめて直葬ちょくそうというものを経験した。病院から直接火葬場に送られて、焼かれるのだ。手向けるために持参していた花を棺の上に置き、何人かと一緒に祈るのがせいぜいであった。激しく動揺してしまったことを今でも思い出す。その直葬がこのコロナ禍においては通常になりかねないのだ。亡骸は処理すべき死体であって、触れてはならない。ずいぶん前から死は日常から周縁化され、十分に見えないものとなっていたのだが、今やその最後の瞬間においてすら、触れることができなくなってきたのだ。

そうだとすると、宗教が問い抜こうとしてきた核心的な問題が、逆説的ではあるが、このコロナ禍において明らかになってきたのかもしれない。それは「触れる」ことである。いったい何かに触れる、直に触れるというのはどういうことなのか。それはすぐれて身体に関わるのだが、傷つきやすく壊れやすい身体を通じて、何かに本当に触れるというのはどういうことなのだろうか。

多くの宗教が偶像崇拝を禁止してきた。聖なるものは不可視であるはずだからだ。しかし、もしそれは触れることができるとしたらどうだろうか。なんらかの道を通ることによって、何かに直に触れることができるとしたらどうだろうか。

直接性への欲望がしばしばロマン化されてきたことを忘れているわけではない。たとえば、他者や何かと融即ゆうそくしたいという夢はその典型的なものであろう。しかし、ここで考えなければならないのは、一体化するということではなく、何かに直に触れるという経験のあり方である。いかなる親密な関係にあっても、身体に生きるわたしたちは、触れることのできない限界にたえずつきまとわれている。一切の媒介なしにそれに触れようとしても、ぎこちない身体はらし、ずらし、遅れていく。だからこそ、身体に対する様々な儀礼や技法が発明され、実践され続けてきたのだろう。それらは身体を媒介ならざるものに変容させようとしてきたのだ。

「わたしに触れるな」という概念とそれを表現した絵画に触れながら、ジャン = リュック・ナンシーはこう述べる。

「私を引き留めるな」とは、このように言うことでもある。「引き退いた、真の〈触〉で私に触れよ、固有化も同一化もしない〈触〉で」。私を愛撫せよ、私に触れるな。
(ジャン = リュック・ナンシー『私に触れるな』荻野厚志訳、未来社、2006年、70頁)

ナンシーにとって、キリスト教こそ「触れることの宗教」(同、25頁)であり、「身体のみが触れるか触れないかできるのだから。精神にはこのようなことは何もできない」(同、67-68頁)。視る精神が前へ進むのとは異なり、触れる身体は引き下がることで、直に触れようとする。精神が目指す直接性とは異なる、身体的な直接性を考えなければならない。

このコロナ禍の中で、わたしたちは様々な社会的関係から切断され、場合によっては、孤独の底に沈んでいく。画面を覗き込み、オンラインで繋がっていけば繋がっていくほど、孤独は深まることだろう。視ることの過剰の中で、精神はますます純粋化し、自らの中に閉じこもっていくからだ。だからこそ、わたしたちは身体を通じて触れること、直に触れることを渇望することになるのだ。

しかし、「わたしに触れるな」をよくよく考えておかなければならない。コロナ禍以前がそうであったように、わたしたちは身体をあまりに雑に扱い、容易に満足する媒介として騙しかねないからだ。「人民の健康が至高の法であるべきである」というキケロの言葉をホッブズが引用して、それを「統治者の任務」であるとして、リヴァイアサンを構想したことを思い出しておこう。その都市の家家の門は閉ざされていて、武装した衛兵と鳥のくちばしを有した防護服を着たペスト防疫の医者が歩いているだけであった。身体は健康化と衛生化の対象に縮減されていったのである。その究極のあり方もまた「わたしに触れるな」である。だが、何かに直に触れようとするならば、身体によって身体に触れなければならない。それは健康化や衛生化とは異なる仕方で、身体に臨むことにほかならない。イエスに触れようとするマグダラのマリアの身体は健康化と衛生化の外にある。

ナンシーによると、「わたしに触れるな」は、「わたしに触れようと欲するな」でもあるそうだ(同、53頁)。そして、マグダラのマリアはすでにイエスに触れている。触れているからこそ、触れることを欲しないようにせよ。つまり、ただ触れるだけでは、何かに直に触れることはできないのである。「きみは何も摑むことはできないし、何も引き留めることはできない」(同上)。

それでも、何かに直に触れるためには、触れなければならない。そのためには、身体を通じた経験の根底的な変容が必要なのだろう。コロナ禍によって明らかになったのは、どれだけわたしたちの生が過剰消費によって貧しくなっていたかということである。シンプルな生から遠ざかり、身体を置き去りにしてきたことに対して、しっぺ返しをくらっているかのようである。ところが、現在進んでいるのは健康化と衛生化であって、身体を回復することではない。

もし未来哲学が何かを開こうとするのであれば、非倫理的な過剰消費や健康化と衛生化によって強化された人間中心主義への批判を通じて、人と何かとを繋ぎ直す概念を検討し直すことによってであろう。それは、わたしたちに身体における経験の根底的な変容を告げるはずである。

そのためにも、このコロナ禍において「わたしに触れるな」という命法を考え直してみたかったのである。「わたしに触れるな、わたしは触れる」。この二つの声を、みなさんはどうお考えになるだろうか。

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谷 寿美  コロナ危機の先に

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始まったばかりのこの困難な時代が容易く収束するとは思われない。人的生命の喪失のみならず、活動制限の中で生業の停止が余儀なくされ、規模によっては即刻生活の困窮に瀕する人々の嘆き苦しみが私たちの社会を覆っている。当初漂っていた遠くの他人事感は、人類に寄生して生きのびようとするウイルスの狡猾こうかつなまでの自己増殖欲に打ち砕かれ、いつ何時わが身に降りかかる災厄さいやくとなるかわからないその目に見えぬ恐怖と不安に人間社会の至る所がきしみ、不協和音をたてている。

過去の感染症が多大な犠牲をはらってそれなりの終息をみてきたように、一、二年のうちには有効なワクチンが開発され特効薬も多く見いだされてこの恐怖からは解放されるだろう。その時、以前のような生活に戻れるのか、戻ることを期待する人々は少なくないだろうが、もし以前のようには戻れないとしたら、この災厄を超えた先の世界はどのような光景が広がるのか、そこに何を期待すべきなのか、期待できるのか。

前のようには戻り難い生活様式の一つとなると思われるのは、例えば、現在余儀なくされている社会的距離を保つ習慣が感覚に根付いていくと、以前のような握手による親しい挨拶などには抵抗感が生じ、自分と他人をいやが応にも意識させられるようになるということ、これは人と人との離反を促進させて、既に好ましからざる影響をここかしこで生んでいる。家庭内では限られた空間内に居住するにもかかわらず離れることが求められるという不可能事に家族間の心理的軋轢あつれきも増している。触覚という人間にとって最も肝要な感覚を制限されて、個人が他者から離れていくことによるネガティブな側面は限りない。しかし否定面を数えあげても今はどうしようもなく、生じてしまった事態であれば、その事の意味を敢えてポジティブに希望的観測をもって考えるとすれば、このソーシャル・ディスタンスは一つの大きな機会となり得るのではないか。つまり、個人が自らの個体性を自己保存本能においてよりはっきりと自覚するようになると同時に、その自分が関わる他者との関係性を改めて認識するという好機である。自分自身が結局何より大事とわかっていても、それでもその自分にとっての大切なものは何か、かけがえのない存在は誰であるのか、あるいは大事な自分自身より危険を冒しても優先すべきものはと、振り返り考えざるを得ない時に私たちは投げ込まれたのではないだろうか。

2

中世において人々を容赦なくなぎ倒していったペスト禍の中で、全能と仰ぐ神に祈りを捧げても応えなく、人にさしのべられた手は結局人の手であることを思い知ったことが、人間であることの再認識、ヒューマニズムの開花へとつながり、絢爛けんらんたるルネッサンスの美術芸術にも寄与する一因となったとすれば、21世紀の世界規模の感染症の後に再生する文化は、それを創出する人間性がさらに一歩拡大深化するものとなり得る可能性をはらむのではないか。つまり、もはや単に人間の能力と限界に視線を向けるのではなく、自然全体に包まれた人間一人一人、個としての私と、それを取り巻く他者世界全体としての生命の連なりをより深く自覚する文化の醸成の可能性である。仮にそのような窓が開かれるとすれば、果たしてどのような心象風景が人々の意識に映り込んでくるだろうか。

個と全体との関係を、19世紀のドストエフスキーは「一切は海のようなものであり、すべては流れつつ触れ合っており、一つのところに触れれば、世界の他の端にまで響く」がゆえに、「たとえ小鳥に許しを請うのが無分別であるにせよ」また「無意味なように思われるかもしれないが、そのことは実は正しい」(『カラマーゾフの兄弟』)と語った。それから一世紀半が過ぎたが、自分の一つの行いが「世界の他の端にまで響く」ことを考えて行動する人はまだまだ希少である。他者を、世界を、全体を見るどころか、おのれの欲求、属する組織の利害の充足しか視野に入れず、自然世界を簒奪さんだつしてやまないエゴイズムの分立が未だ強力に働いている。そうした近現代のおのれのみ良かれの人間活動に対して、深刻な環境破壊と気候変動が応報として到来したのは当然であり、見境なく未開の地に踏み込んで野生動物と接点を持ったことが未知なるウイルスの活動を引き起こし、現今解決困難な感染症の発生にうめくことになっているとしても、これも人間が蒔いた種である。

しかし蒔いたのは既得権益を握りしめているものたちであり、その報いをのみ将来世代が引き受けなければならないというのはどう考えても理にかなわない。プロテストの声を厳しく上げ始めている若い世代がこれからの時代を担うに違いない。科学技術の進展と共に、空間的分離感を超えて自分と世界が直結していることを実感している彼らは、世界をトータルに展望することを各方面で過去の世代よりスムーズに成し遂げるだろう。しかし、その展望のために今彼らが依拠しているのがインターネットやGPSなどアメリカ発のテクノロジーであるとすれば、瞬時にそれぞれのデータが巨大企業のシステムの網に入って、蓄積されたその情報もまた利用されていくとすれば、若い世代を中心に芽生え始めてきている個人と多様な全体の包括的意識は、当初あった方向、あるべき方向を保ち続けられるのだろうか。

3

なぜなら、今日外部からははかることもできないほど強力化したテクノロジーは、常時吸収している情報を一元的に集約管理していく中で、その門にくだる者には快適至便さと部分的情報を提供するが、その一元的価値観で設定されている基準から外れるものに関しては押しやられ、無用のラッテルが貼られ、在って無きが如くに扱われる。テクノロジーの専制が隠された抑圧と排他性の温床となり得ることは明白である。既に隣の大国では、国民の行動を常に監視し規制するシステムが密かに、また同意する人々によって張り巡らされつつある。外からの規制のみならず、一人一人の行動を信用スコアリング等、優劣の機械的評価がなされることを念頭に自己規制に導いていく巧妙な国民コントロールは、かの国のみの特殊事情とも言えず、今回のコロナ危機をきっかけとして、最新のテクノロジーに基づいた監視体制はそれなりの支持を得て各所で拡大していくに違いない。個人は再び国家のコントロール下に組み込まれる可能性に迫られる。全体主義の台頭を許すことになる途上国においては深刻な欠乏に瀕して戦争に踏み出す危険も想定される。

テクノロジーの利便さに目をくらまされることなく、利用可能な技術はその倫理的課題をしっかり把握した上で用いつつも、またそれに縛られことなく、意識においては時空間を軽やかに超える人々の出現が待ち望まれる。勿論、これまでも、地球全体を意識にれる人々は少なからず出てきている。しかしいまだあまねく及ぶものではなく、環境の全的崩壊へのカウントダウンを止めるレベルには達していない。そこに現れた新型コロナの脅威は、既存秩序の解体と即刻の対応をいて、まずは個別の間隔を置くことが求められているわけであるが、私と私の他者との「間」を常に否応なく自覚するということは、他と関係してこその私の「個」を新たな次元で意識させ、確立させるきっかけとなるように思われるのである。

仮に人類規模の意識の集合体のようなものを考えるとすれば、これまでの人間の意識全般は幼児のようなもので、母なる自然は人間のために存在し、守り育て、何をやっても許されると思い込んでの甘ったれた依存関係にあったが、そのような自己中心にもはや我慢の限界に達した自然が、今お前たちが置かれている状況を見よと、個々に迫りくるように思われる。この場合、人間、あるいは人類一般に対してというのではなく、具体的なこの一人、この一人に対して突きつけられているところが肝心なところであろう。

たった一人のおこなう一つの行為が、まるごと全体に波及直結していくということを、身にしみてわからされようとしている。首都の首長や府知事が連日のようにメディアを介して、あなたのおこないが他のすべてに関わっていく、どうかそのことを理解して自粛をと呼びかけているのを、また上からのお達しかと気乗りせずに聞いていたが、仮に、それらの声という現象に現れ出ようとしている本質的なものがあるとすれば、それが自然と人間を包摂ほうせつして生命一切を統括する何かしら大いなるものの呼びかけに類するものとしたら、どうなのだろう。

4

地球という有機体に張り巡らされた神経系としての情報の経脈けいみゃくはそれなりに働いているものの、流れる血流としての人的移動や物流が抑制された結果、個々の組織での生産能力は落ち、減益ばかりの経済に既存政治は有効な手段を見いだせないまま、各器官は、人間社会でいえば国家機関といえるかもしれないが、目先の対応に追われるばかり……。

人間が形成した社会は今、回復し難い深刻な危機に陥っているが、それでも地球全体としては、すべての生命活動がつながり保たれている。そのようにすべてを今も常につないでいるものがあるとすれば、それは何なのだろうか。自然の働きではない。別の次元で働いているものと考えるべきだろう。自然は時間と共に生起現象して、生命の連鎖を構築もするが、分断破壊もする。それに対し、可視的世界の背後で自然を包摂しそれを超えて「すべて」をつなぐ生命的な働きは、不可視のゆえに認知されにくいかもしれないが、時空間を超えて働き続けるものとして、既にこれまでも各言語や各文化体系の中で様々なあんや比喩的表現で指さされてきたものではあろう。すべてをつなぎつつ生命をかつするそうした複数の名を持つものについては、ここでさらに踏み込むべくもないが、ただそれが関わる「すべて」ということ、それは文字通りのすべてと採るべきなのか、切り捨てた方がよい無用のものがそこにもあるのか……。

細胞生物学者の永田和宏氏によると、人の胎盤が機能するのに必須の或るたんぱく質はウイルスに由来するそうで、人間はウイルスの情報をも自分の遺伝子の一部としてため込み利用してきているという。今は悪の権化のようにきらわれている新型コロナウイルスもそれなりに生起する必然性あって生じたものかもしれない。私たちが撲滅を願ってもそれは在り、繰り返し形を変え、質を変えて現れ出るとすれば、忌まわしいウイルスですら何一つとして欠けることなく、一切が同時に全体として切り離されることなく在るということの意味を、私たちはこの機によくよく考えなければならないように思う。

人間が恣意的に不合理を削っていった果ての一様性ではなく、あるがままに多様であればこそ豊かに生命を保つことのできるこの世界全体を視野に入れ、その世界と、他者なるすべてと共にある「私」をはっきりと自覚できる新たな意識の人々が、このコロナ禍のあとに増えてくることを、たとえ夢物語に思われようとも私自身は切に願っている。さもなければ、かくも日常を絶たれ、生活基盤を破壊され、これほどの犠牲、これほどの精神的苦痛を経験した甲斐かいがなくなってしまう。変わるべき時が来たのではないだろうか。共生や共生きといった耳にタコができるほど聞きなれた言葉が空疎な美辞麗句でなくなる貴重な機会が今開かれている。もしこの機会を逃して、災厄の原因を他に見て非難する国家間の見苦しい応酬などに気を取られて、この事象の本質を学ぶことを放棄してしまえば、年々耐え難く激越なものになっていく自然現象の脅威に、被災する人々の呻きはいや増していくことは確実かと思われる。

最後に、個と全体の関係を「全一」として、個が「すべて」と連なってこの生命世界に生かされていることを、一人一人が真実に実感して感受するような「理想的人類」のありようを語った哲学者の名を挙げておきたい。ドストエフスキー最晩年の友ソロヴィヨフである。彼によって語られた「全一性の智慧」は人類が実現すべき究極のあり方であるが、現代人からするとそれは法外な夢である。その思想をしばし追ってきた私としても、その言説の途方もなさには、さらに語る気力を失いかけていた。が、予想もしなかった事態に直面させられて、改めて19世紀末の予言者的哲学者の勇気を思う。理解されずとも語るべきは語る。もはや鬱々うつうつとしているいとまはない。変わるべき時がきたのだろう。

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坂元ひろ子  ウイルスとともに――「近代」への問い

1 不快、それはウイルスではない

現在のえもいわれぬ有形無形のマスクの息苦しさ。未来について気持ちを向けるために、まずは現在の数えきれないほどの不快について吐き述べておいたほうがよさそうだ。

つい先日、ガヤトリ・スピヴァク(G.C.Spivak)から「BAD NEWS」が送られてきた。なんと、雲南でのシンポジウムでも一緒だった共同研究者、インドの学者、ハリ・ヴァスデヴァン(Hari Vasudevan)の訃報、新型コロナウイルスのためにベンガル、コルカタで亡くなったのだという。そんな! ……このインドとロシア、ヨーロッパ、そして広くアジアを視野にいれ得たベンガルの碩学せきがく、その冷徹にして機智に富むことばをもう耳にすることができないとは。残されたものにずっしりと衝撃を与えたが――私よりわずかに若いということも含めて――、その死を通してさえ人間と自然、生命、文明への問いに連なりうるのであって、もちろん「不快」とは無縁である。

そしてその死をもたらしたウイルスもまた、それ自体は独立自存も自己増殖もできないものであって、罪があるわけではない(今回のコロナ禍は一方で人間に汚され、いたぶられ続けてきた自然をわずかに蘇らせつつあることを誰しも感じないわけにはいかないだろう)。不快なものたりえない。

不快なのはなんといっても「ウイルスとの闘い」という人間の――いうまでもなく「テロとの闘い」なくしては考えられない──このスローガン、身の程知らずの勘違いによる野望とでもいうか。これについで出現したのは、上が自粛強制封鎖なら、下も「自粛警察」、そしてこれからはお上主導の「新生活」運動だ、と。湾岸戦争どころか、日中戦争、それ以前からの植民地主義の記憶とも見事に重なる。日本軍に封鎖され、また無差別爆撃にさらされた中国の都市、その前に日本の振武学校仕込みの軍事鍛錬を身体化していた蔣介石による1934年発動の「新生活運動」。

さらには目下の米中対立の発端ともいえる「東亜の病夫」言説の反復! ――19世紀後半から列強はまずオスマントルコをそう呼んだらしいが、やがて中国をそう呼ぶようになった。ことに日清戦争で小国日本に敗北して以降、中国は「東方の病夫……長く神経が麻痺している(夫中国—東方之病夫也,其麻木不仁久矣)」などと評され、中国人も反発をこらえて自己奮起のために用いたのであった(1930年代、満洲事変以降の風刺漫画の表紙にも登場、ありとあらゆる強壮剤・強精剤、保健薬の類を「東亜の病夫ご推奨」とする広告仕立てのこの図は1936年創刊の『漫画界』同年4月号の表紙)。それがなんと今年の2月に『ウォールストリート・ジャーナル』のコラムに “China Is the Real Sick Man of Asia ”のヘッドラインが登場した――同月、中国は同紙記者3人を追放――のにはさすがに驚愕した、いやそうではなく、いかにもいかにも、それら記憶の「新型」なのだからというべきなのであろう。

2 ウイルスから教わる

さて人類は「自然との闘い」を通して進化-退化(進化して失う、退化も生じてきた)してきたとして、最初は生存をかけて自然と闘うなか、自然改造の欲望をもち、農業、そして漁業や林業も発展させることになった。近代以降はことにそうした流れは強まり、少なからずの論者からも指摘されたように、人口爆発、大規模な生産工場、農業拡大、森林伐採、宅地造成等を含む乱開発はウイルスをもつ蝙蝠などと人間との距離を近づけた。漢方薬などで使用する他の野生動物もローカルな使用の範囲では長年の知恵といってよかったが、グローバル消費向けに乱獲に及ぶと、あらたに感染媒介者となった。経路はどうであれ、かくして動物由来のウイルスに人間が感染するようになったということらしい。

前にSARSコロナウイルスを論じた美馬達哉みまたつやによると、「人間以外の動物での感染症として存在していたのだが、もともと人間にも感染する能力も持っている(人獣共通感染症)か、突然変異によって人間での感染症となった」(『「病」のスペクタクル―生権力の政治学』人文書院、2007年、48頁)だけで、「新しい」というのも人間にとってそうだということでしかないという。

当然ながら、グローバル化は感染を超高速で超領域的に広げてきた。ウイルス撲滅は難しいだけでなく、人が集団でもった免疫を消失させることにさえなる。ならば自然を畏怖いふするごとく、見えない相手をなんとかうかがいながらそれと「共存」していくほかないのであろう。要は「共存」に耐えるため、各地での医療崩壊をどうにかして防ぐということになるが、医療崩壊こそは目先の「不要不急」のものは削減、命よりコスト優先の方針を推進し、なおもし続ける新自由主義的政策の帰結といえよう。

3・11の震災・津波に加わった原子力発電所の事故も、その危険性について予測・警告はあったのに、「安全神話」によって無視していたことで防ぎ得なかった。命より目先のコスト削減策、そもそも「核のゴミ」処理もできないのに生産力維持のための「安価な」安定供給が可能な「夢のエネルギー」と信じ込み、信じ込ませて固執したのだ。この時の災害・事故の試練に大きな犠牲を払うことになったわけで、その後こそは夢幻から覚醒かくせいし、生き方を見直し、方向転換するために逃してはならない好機であった。だが、実際には犠牲者の鎮魂のための間もおかず、方向転換どころか、東北の「復興」のためと噓を並べて五輪招致に狂奔し、たまる一方の放射性物質を除ききれない汚染水は周辺国や世界への迷惑もかまわず海に垂れ流そうとしていて(正当にクレームをつける国などには逆ギレよろしくヘイトキャンペーンをはる)、避難後の帰宅困難住民は今なお数万人、食べていくために劣悪環境で事故処理の危険作業を続ける労働者をも顧みない。自然破壊も命の軽視も極まるというものである。コロナ禍対策さえ明らかに五輪中止回避のために後回しにされた。

そもそもウイルスが宿主しゅくしゅとなる人間を選別することはないのに、世界のほぼどこの例を見ても明らかなように、感染には社会的な格差が如実に表れる。たとえば日本でも朝鮮学校だけは高校無償化からも除外するなど極端な差別的措置がとられているところに、さいたま市ではコロナ対策で保育所や幼稚園などの子どもの施設職員用にマスク配布を決めながら、当初、朝鮮幼稚園を対象外にしようとした。沖縄では米軍基地内の感染情報は住民に公開されず、県民の意向に反する米軍新基地建設のために感染者がでても工事を中止しようとしなかった。弱者切り捨てばかりか、災禍さいかへの恐怖や不安不満をそうした弱者への憎しみにむけさせる。今回の災禍があぶりだしたのは皮肉にもウイルスとは逆のすさまじい格差(たとえば、アメリカでの感染者の民族-階級分布をみよ)の現実で、人間こそが、それが築いてきた文明と、行政や社会こそが最も責めを負うべきであることは疑いをいれない。

 3 中国近代の「菌説」

20世紀末以降、グローバル化を背景にパンデミックの脅威が取りざたされるにつれ、ウイルスについての関心・議論も高まってきたようにみえる。

さきにあげた美馬達哉の論もそうだが、ほかにも、ウイルスが生物の遺伝子に突然変異をおこすとし、ヒトゲノムの約半分はウイルス由来であり、人間の進化の歴史に大きく影響を与えているというイギリスのフランク・ライアン(Franc Ryan)の説(『破壊する創造者──ウイルスが人を進化させた』夏目大訳、早川書房、2011年)や、ウイルスよりは、体内微生物の生態系のしくみと健康との関係を説き、その乱れ、崩壊による不調を問題にするアランナ・コリン(Alanna Collen)の説(『あなたの体は9割が細菌──微生物の生態系が崩れはじめた』矢野真千子訳、河出書房新社、2016年)などもでた。後者は、腸内保有の細菌が疾患への抵抗力にもつながるとして、抗生物質の安易な投与に警鐘を鳴らし、話題となった。日本でも腸内細菌が免疫力と関連するとして重視されてきている。

このような近代的な殺菌・滅菌という考え方への見直しともなる流れを見て、中国近代思想を手がける立場にあって改めて興味をひかれるのは章炳麟しょうへいりんの「菌説」(1899年、『章太炎全集』(十七)医論集、上海:上海人民出版社、2017年所収)である。

章炳麟は辛亥革命時の「学問のある革命家」(弟子、魯迅による評)として知られるが、章家は祖父、父、長兄の三代にわたって中国医学を治め、医業についたのであり、章炳麟自身もその長兄について医学の基礎を得た。「菌説」は革命家となるほんの少し前、それは同時に仏教理論に傾斜する直前でもあるころの執筆になり、全体としては道家や佛家の説への反論でもあるが、出だしはこうである。

かつて『荘子』斉物論を読み、「楽出虚,蒸成菌」(〔音〕楽ハ虚〔管〕ヨリ出デ、蒸〔蒸気〕は菌〔きのこ〕ヲ成ス)とあるのはどこからくるのかよくわからなかった。だが人心の快楽〔章炳麟は楽を音楽とは解釈しない〕は空虚より発しながら、有形の菌を蒸成するとは、荒唐の言ではない。過日、礼敦根の『人と微生物の戦いについて』を得て、ようやくそれが噓ではないと納得した。

上海同仁医院の英国出身の医者、礼敦根[Duncan Reid]のこの書は、1892年2月に西洋人の集まりで講演した内容を宣教師のジョン・フライヤーが漢訳して科学誌に掲載、それを本としたものだという。細菌学史の概略を示し、開祖とされるフランスのルイ・パスツール、微生物による感染病を究明して1882年に結核菌、翌年コレラ菌などを発見したドイツのロベルト・コッホらの研究業績の意義を説いていた。

この書で当時の西欧医学における感染症についてのおおまかな知識を得た章炳麟は、コレラの菌(微生物)も結核の菌(バクテリア)も同じく菌で、「コレラはいうまでもなく、結核も往々にして色欲に溺れることから始まる」、「欲情が過剰になるとカビとなる」、それが『荘子』斉物論でいう「楽出虚,蒸成菌」、つまり「快楽は空虚より発しながら、有形の菌を蒸成する」で、「次々と伝染するのは快楽とは無縁だが、その発端は快楽から始まる」と。医和〔紀元前、春秋時代の良医〕の説などを引きつつ、「微草を菌といい、微虫を蠱という。両者はまことに判別しがたいのだが、動植物に一定の境界があるわけではないのだ」と。さらに仏教の『大宝積経』の「初メテ胎ヲ出ル時、七日ヲ経テ、八万戸ノ虫、身ヨリ生ジ、縦横ニ食噉ス」なども引き、淫楽から菌・蠱ができるだけでなく、それができてしまうと人の「志念」をも振動させ、淫楽に従わせる。そればかりか喜怒哀楽をも振動させる、人の始まりも「楽出虚,蒸成菌」だ、と。

色情・愛欲というべき「妄情の発起」からの生成論を想定するのだが、蠱を「精虫」精子ととらえ、それが卵子をめがけていくことで人間の胚胎がおこる、と説く。伏曼容ふくまんよう(421—502年、南朝宋、斉の大臣で、ことに『周易』と『老子』に通じた)の「蠱トハ乱ナリ、万事ハ惑ヨリ起キ、故ニ蠱ヲ以テ事トス」(『易』解、李鼎祚『周易集解』所引)でも、惑いからすべては生じるゆえに乱につとめるとしている、と。

万物の原初、アトムからして「欲〔求める〕悪〔憎む〕就〔つく〕去〔遠ざける〕」という「極微の知」をもつがゆえに集散をくりかえす。よって、無知と目される無機物もアトムのレベルの知はあり、その生成はやはり「妄想」によるものとみなしうる。要するに万物は「上帝〔神〕が造るのではなく、物のほうで自造する」。生物の進化も同様で、「妄想」の所産である万物の形質は「思うにつれ徐徐に変わり」、原初のアトムから草木、水生動物、禽獣を経て人に至るまで、「思い」「志念」によって自力進化するのだ、と。

このように愉楽に淫する、過剰な欲望から万物が有機物・無機物を問わず、妄なる自生・自化、つまり進化する、そしてそれは病をも引き起こす、そういう万物生成観をみてとれる。

章炳麟はこの「菌説」のあと、獄中で得た仏教理論・道家思想をてがかりに、革命運動に参与するなか、この説を鍛えなおすことで、帝国主義侵略を正当化する社会進化論や文明-野蛮視を批判し、善・楽にも悪・苦にも進化するという倶分進化論を編みだすことになる。

中華民国期の章炳麟が北京での幽閉を解かれて移り住んだ上海は、当時、サッスーン財閥らによってさまざまな国籍の資本の投入による再開発がなされようとしていた。このコスモポリタン都市には同時に県城から租界地に多くの中国人が流入していき、歓楽街やスラムも形成されつつあった。一方、衛生政策・施設がおいつかず、感染症が頻発した。章炳麟も、「上海の疫病は本当に怖い。西洋医は血清を処方するがそれでも救えない」と弟子にその恐怖を吐露しており、それが医学のさらなる研鑽けんさんへと駆り立てることにもなった。1920年、肝臓・堪能病で黄疸おうだんもでて重体に陥り、自ら漢方薬を調合して自らの身体で「実験」していたのである。菌も病も章炳麟にあってはこの上なく切実なテーマであった。1929年には迷信としての「陰陽五行説を一掃して科学で中国医学を解釈する」べく、上海国医学院の初代院長に就任することにもなった。

  *章炳麟の「菌説」の翻訳はない。参考:坂元ひろ子「章炳麟の個の思想と唯識仏教―─中国近代における万物一体論の行方」『思想』747、1986、坂元ひろ子『連鎖する中国近代の“知”』研文出版、2009(坂元弘子『中国近代思想的“連鎖”──以章太炎為中心』郭馳洋訳、上海:上海人民出版社、2019)、坂元ひろ子『中国近代の思想文化史』岩波新書、2016、西順蔵・近藤邦康編訳『章炳麟集』岩波文庫、1990.

4 未来への「近代」の問いのために

近代はグローバル化する時代だが、それに中国では「大同」イメージを重ねようとしたものであった。だがそんな甘いものではなく、ややもすると単純に善・悪、敵・見方――それは人間中心的かつ自己中心的でもある――また有用・無用の二分法に傾き、心と身体も自然と人間、その関係――民族・階層・ジェンダーを含む――をどこまでも差別化、分断してやまない。そうした方向へと、今後、グローバル化とIT化・AI化の速度とあいまってどんどん邁進してしまいはしないか。それをどうにかおしとどめて別の道を考えてみること、そのことをウイルスにみる世界、章炳麟の「菌説」のような想像力は考えさせてくれる。

そして章炳麟のような想像力は、やはり漢籍あってのものだと思える。中国の研究をする者としては、日本はもちろんのこと、中国及び中国語圏においてさえ、漢字を実際に書くという身体行為あるいは準身体行為がいつまで可能か、もし可能でなくなったときに漢字は生き延びるのか、加速するデジタル化とどこまで共存できるのかといったレベルの問題、そしてそれらをツールとする知のありかたそのものがどう変わるのか。すでに漢字が書けなくなっている人が増えている。漢字廃止に進むと全世界の文字の欧文への一本化に一歩、近づくことになるが、それは好ましいのか?

ヨーロッパ大の領域で蓄積されてきた漢字原文のこれまでの膨大な文書、人類の文化蓄積の多くにほとんどの人はじかにはアクセス不可能となろう。それら原典を欧文翻訳か音声表記にとってかえても、より深い多様な解釈の可能性を封じることになろう。死蔵文献にしてしまってよいのか?
このことは昨年(2019年)、韓国安東アンドンで開催された人文価値フォーラムでも言及したのだが、そこでの関心は、すでに第四次産業革命期における人文のありかたに寄せられていた。目下のウイルス対策でも露見したように、日本のIT化・AI化の歩みはおそい。第四次産業革命はまだしも遠い(やってくるとして)かもしれない。それでも、日本では人文学の自粛ならぬ立ち退き要請は今後、さらに進むだろう。いきなり実施が求められたオンライン授業などによってもそう思わざるをえない。私の関心事である優生学的な人間改造(デザイナーズベイビーの生産)・遺伝子操作の欲望の問題も、今のような災禍を契機にとりかえしのつかないところまで一気に進まないように願わないわけにはいかない。

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佐藤麻貴  静けき戦争──重層構造的分断という日常

1 時空の歪みにおける教育問題

3月26日の夜、本郷のとある中華料理店で、私たちは同僚の転職祝いをしていた。非常事態宣言が出される寸前のその夜、同僚として共に働いた数年間を振り返りつつ、4月1日から「元」同僚となる彼が送るであろう新しい生活を共に喜びつつ、私たちは中華料理に舌鼓を打っていた。私たちが共に過ごした濃密な時間とは裏腹に、私たち一人ひとりの間には、飛沫が飛んでも大丈夫なように、1.5メートル以上の間隔が設けられていた。あの夜、私たちは、物理的距離と精神的距離とは連動しないことを、再確認していた。4月に入ると、私の非常勤先でも遠隔授業が奨励され、オンライン講義準備のために、複数の非常勤先の大学が用意してくれたシステム・マニュアルと、連日にらめっこする日々を過ごす。挙句、4月中旬には、にわか仕立てのオンライン講師が一人、なんとなく仕上がり、おずおずと新しく装着させられた武器を駆使しつつ、オンライン講義なるものを始め、今日にいたる。

この間、本郷の同僚でもある人生の先輩に、何度もオンラインで相談し、大学教育、高等教育とはいったい何なのか? といった議論を二人で深めていった。明らかになったのは、彼にとっても、私にとっても、大学で印象に残った授業、大学に来て良かったと思わせてくれた授業には共通点があること。それは、与えられる情報を機械的に覚えさせられる授業ではなく、自分の脳が思い通りに働かないことを呪いながら、自分の手足や地頭ぢあたまを使い、教わった知識を、自分なりに応用していくことが求められる授業だった。私の個人的経験に基づくと、修士までの理系学問で言えば、ある種の要素技術を複数連携させてシステムを構築したり、プログラミングを通して自分の世界観をコンピュータ・モデルに反映したり、自然や農村に分け入って実測したデータを数値化してモデルに組み込む作業。博士からの文系学問で言えば、摑みどころの無いフワフワした言葉を捕まえ、適切な言葉を探し、頭の中で構築した概念を言語化し、言葉を紡ぎだしながら思索を深めようとする作業だったように思う。文系、理系に共通しているのは、学問をするとは、師や仲間と同じ時空間に共に集い、共時性・共時態において、彼らの言葉を聞き、彼らと議論することからしか意識化できない自らの考えを鍛錬し、精錬していく作業だ。学問という作業は、よほどの天才で無い限り、一人では限界を迎える。つまり、学問をするとは、「人間は社会的動物であるという」アリストテレス的人間観を、最も体現している、ある種の共同作業なのだと思う。

オンライン授業では、下半身が無く上半身だけが動く二次元画像、あるいはイコンのような静止画像から、まるで天啓のように声だけがヘッドフォンから流れてくるだけの授業が、延々と展開されゆく。二次元世界では、画面いっぱいに顔は見えても、目を合わせあたり、息遣いを感じることはできない。ある空間に「共に在る」という三次元のリアルであること、はたまた、ある空間と共に、ある時間帯をも共有するという四次元のリアルが、大学教育の中で禁止され、私はデジタル空間に漂い、虚空に向かって一人語る、無機質の薄っぺらな架空の存在になったように感じた。一度も会わず、「顔(visage)」すら分からない学籍番号(ナチズムにおける、個性をはく奪するための番号を彷彿とさせる)に連動された学生たちと、どうやったら表面的な二次元的やり取りではなく、彼らに社会の一員であることを自覚してもらうと同時に、自らの言葉を紡ぎだす困難な作業の伴奏者になれるのだろうか。

オンライン授業に切り替わるに当たり、今後、ますます大学教育のみならず、教育の在り方が問われゆくであろうことは自明である。AI(人工知能)時代の幕開けと共に、大学を卒業してからの時間の大半を、コンピュータやAIという、具体的な動作の仕組みが分からないブラックボックスに囲まれ、社会人として過ごしてゆくだろう彼らには、彼らにこそ、借り物ではない自分の言葉、てらうのではなく自分らしい考え方を自覚的に追求する姿勢を身につけた上で、社会に出ていってもらいたい。そうした目指すべき大人像からバックキャストした時に、学生へのオンライン授業は、従来型の講義のように授業を一方的に垂れ流すというやり方では、通用しなくなる。だからといって、思い付きに近い陳腐な意見を述べ合うことだけでは、いたずらに時間が過ぎるだけで思考は深まらない(やらないよりはマシなのかもしれないが)。

オンライン授業により、引きこもりなど大学に来られない事情を抱えた学生が、大学授業を受けやすくなるといったインクルーシブという良い点が指摘される一方、実際の現場で感じるのは、オンライン対応できる学生とできない学生、スマホしか持たない学生のITリテラシー格差だ。それは、オンライン講義への移行途上にある一過性の格差なのかもしれないが、ITやメディア・リテラシーについては、教員側でさえ仕組みについて無知の中、道具が準備されているというだけで、道具の性質を良く分からないままに、強制的にユーザーにならざるを得ない社会的状況が作りだされている。ハイデガーが『技術への問い』(関口浩訳、平凡社、2013)の中で批判したge-stell(集-立)、すなわち、すべての存在が生起した(geschehen)技術に否応なしに結び付けられ規定されてしまう社会の在り方という構造が、より浮き彫りになっただけである。つまり、きたるべきAI時代では、ある教科について世界中の大学から複数の優秀な教員の講座をAIにディープラーニングさせ、知識の伝授法の最適値を抽出し、AI教員による一方的講義をオンライン配信すれば事足りてしまうという、大学教育の一側面が明らかになったということである。ハイデガーの技術懐疑論は、人間存在は、代替可能な人的資源(Menschenmaterial)に成り下がるとし、それを回避するための自然回帰をうたうが、ハイデガーの人間の代替可能性の危惧は、AIの到来時代にこそ、的を射ている議論なのだろう。

AIにまで論を飛躍させなかったとしても、オンライン授業の是非については、コロナ問題のはるか以前から、ユニバーサル教育の普及の観点において日本では放送大学、アメリカではMOOKなど具体的な取り組みが既に存在する。一方、学生の学びを主体的に考えた反転授業──知識については各自が教員の作る教材を基に事前学習し、対面授業では教員と共に事前に得た知識に基づいて思考やロジックを紡いでいく作業をする授業──の重要性が教育業界で話題になってから久しい。つまり、コロナ問題以前から、教育業界における既存教育の在り方への疑問は、水面下の動きとして既に具体性を帯びて始まっていたとも言える。しかしながら、一般的にMOOKや反転授業は、学生も教員も準備時間を多く費やさなくてはならず、「学びつづける」という意欲が学生側により多く、より強く求められる教育方法は、欧米と比較し入学してからの「学び」が軽視される日本の大学教育では普及していない。

デジタル空間に漂う文系大学教員は、二次元化した空間の歪みと共に、近代社会の時間概念も歪めていかざるを得なくなるのだろうか。社会学者の見田宗介がペンネーム真木悠介で表した『時間の比較社会学』(岩波現代文庫、2003)は、原始共同体の「繰り返す時間」、古代ギリシャの「円環的な時間」、キリスト教社会の「線分的な時間」、そして近代社会の「直線的な時間」という、時間概念の差異を四つの概念に区分し、それぞれの特徴を鮮やかに描き出した。文系ではカミユの『ペスト』(宮崎嶺雄訳、新潮文庫、 1969)読解がある種の知識人の間で急速にブームになったが、それはまさに、「繰り返す時間」「円環的時間」の具体的事例として、文系学者たちが示した「直線的時間」へのアンチテーゼであったように思う。現代の情報革命社会において、二次元空間に漂う哲学者たちは、未来を背負う学生たちを前に、古代回帰、自然回帰を木霊(コダマ)のように連呼するしかないのだろうか。

2 永遠の仮説としての科学的見解──忘却なのか、無知なのか

韓国政府が導入している機械によるPCR検査と、日本政府の保健所主導の人間の手によるPCR検査の検査体制矛盾が報道機関によって批判されている。保健所の限られたマンパワーに起因した、検体の取り違え検査や罹患者数の集計ミスなども指摘されている。こうした事態は、いったい何を示唆しているのだろうか。社会政治学的には、当然、民間が保有する機械の存在を知りながら検査委託せず、政府主導型で保健所に負荷をかけた失策として批判の対象となるだろう。一方では、罹患した患者数や死亡者数だけが連日、数値データとして報道され、人々は数値情報に一喜一憂する。では、哲学的には、この事態をどう見ることができるのだろうか。

ハイデガーの技術批判において展開されるのは、技術による人間の代替可能性だった。ある種の機械オペレーションは、人間の手が入らなければ入らないほど、つまりヒューマン・エラーの入りこむ余地が無ければ無いほど、誰が行っても均一の結果しか出さない。技術の中身、使っている技術がどのように作動しているのかを全く知らなくても、技術を使いこなすことはできる。つまり、ある種の技術の前では、人間の個性は必然的に疎外されゆく。技術のユーザーは、技術に使われる道具的存在に過ぎない故、代替可能性が生じる。先の論考では、技術により淘汰されゆく大学教員の可能性を例に挙げた。しかし、問題はそれだけでは無い。技術に対して無知であることは、技術に対して無防備であることであり、それは、技術に支配されることを知らない間に許容していることと同意である。技術は生活の中に静かに、しかし確実に浸透していく。中国、イスラエル、韓国のスマホを用いた新型コロナ罹患者の個人特定と、彼らの移動経路などの追跡調査ができることで、COVID19蔓延を終息させることができたグッド・プラクティスとして、報道機関は称賛の声を寄せている。その一方、ユヴァル・ノア・ハラリはジョージ・オーウェルの『1984年』(新庄哲夫訳、日本点字図書館、1984)に描かれるビッグ・ブラザーを引き合いに出し、管理社会(監視社会)レジームへと転換していく契機になるのではないかと警鐘を鳴らしている。しかしながら、こうした議論は、技術の二つの側面を浮き彫りにしたものだけで、たいして目新しい議論ではない。1950年代後半から、ウラン(厳密には235U)の核分裂を戦争に使うか、平和利用するのかで、技術の持つ矛盾や二重性については十分に議論されており、当時の議論の「原子力」という用語をスマホに内蔵された「ブルートゥースとGPSの複合技術」に置換すれば、技術の功罪に関する議論のほとんどは出尽くしていると思われる。議論できる内容として、なおも残されている論点があるとすれば、技術自体の問題ではなく、その応用の側面である民主主義と管理社会は共存できるのか、という問題であろう。

では、技術を成立させる科学については、どうなのだろうか。学部から修士論文まで指導いただいた茅陽一先生は「科学者の社会的責任」という言葉を良く口にされていた。寺田寅彦、湯川秀樹や朝永振一郎も、科学者の社会的責任には人一倍の注意を払っていたように思う。当然、それは彼らの意味する「科学」と時代的背景として戦後復興時や高度経済成長期の日本における「科学」の役割を担った科学者だからこそ紡ぎだした言葉であるようにも思う。しかし、卑近な経験から振り返って考えると、個性が排除された数値データをベースに環境政策を議論していく際に、茅先生の「科学者の社会的責任」という言葉が金字塔のように私の胸に刻まれていなかったら、社会的な最適解としての、例えば環境税の税率、排出権取引の二酸化炭素排出単位当たりの適正価格などの数値情報にばかり目がいき、そこで新たに目的税を課すということの社会的意味合いや、ガソリン・灯油・電力に上乗せされる二酸化炭素価格に伴う一般市民の家計負担にまで、思いを巡らすことは難しかったかもしれないとも思う。

社会経済モデルで提示される何らかの最適解が、温暖化排出ガスの抑制に繋がり、それが社会全体の最適状況を生み出すという、社会構成要因である個々人の人間の生活を鑑みない、一人一人の生きている人間という「顔」の見えない数値データ(アノニミティ)に置換した単純思考が是とされる世界では、「科学者の社会的責任」というある種の倫理的観念は観念の問題として片付けられてしまう。当然ながら、これは、レヴィナスが『全体性と無限』(熊野純彦訳、岩波文庫、2005)で主張する、レヴィナス独特の他者論における「顔」の存在(être動詞)と所有(il y aのavoir動詞)の問題と同じで、極めて倫理道徳的な問題を示唆する。すなわち、お茶の間に日々届けられる、数値化された罹患者や死亡者(アノニマスな犠牲者)とお茶の間にいる私たちの間には、単なる数値情報しか介在しない。数値情報は、私たちにとっての他者が他者であることを止めた状態としてしか顕現せず、それは、私とは絶対同化しえない、名をもたない抽象的な存在としての他者に過ぎないのだ。そこでは、彼ら個々人の歩んだ人生、人生の喜びや哀しみの物語は話題にすら上らず、個々人の罹患や死亡の物語の「数」のみ淡々と積算されていく。

では、技術の背景にある科学のもたらす功罪は何か。今般のケースに当てはめてみると、COVID19という未知のウィルスに対する人類の振舞い方から、科学の功罪は容易に見て取れる。すなわち、イギリスの当初政策のように緩やかな集団免疫力をつけるのか。あるいは、アメリカや日本がとったように罹患者個人を徹底的に管理隔離し、ボトルネックとなっている病床数に見合った数値に罹患者が減少するまでは、社会封鎖という形で対応するのかといった、二者択一型のウィルス防護政策である。ジョンズ・ホプキンズ大学による罹患者数と罹患率、死亡率などを変数としたモデル解析からスーパー・スプレッダーの存在が明らかになり、当初思われていたよりも感染率が高いウィルスであるという科学的知見から、社会封鎖政策が各国でとられていった。科学に基づいて、ウィルス脅威の前ではただ引きこもるしかないという人類の脆弱ぜいじゃくさが実感された一方、同時進行的に、科学をもってウィルスと戦おうとする者も出てくる。トランプ大統領が抗ウィルス薬として有効かもしれないと発表し、報道された抗マラリヤ薬、クロロキン(C18H26ClN3)とヒドロキシクロロキンに、塩素(Cl)が含まれることから、家にある塩素を薄めて飲用すれば良いと解釈され、ひどいケースでは金魚槽の洗剤タブレットを飲んで病院に運ばれる事件がアメリカでは多発した。今のところ、人類がとったウィルスとの戦争攻略法は、孫子の兵法(『孫子』金谷修訳注、岩波文庫、2000)を借りれば、次のようにまとめられる。つまり、「彼れを知りて己れを知れば、百戦してあやうからず」とはいかない未知のウィルスに対し、「戦わずして勝つ」という引きこもり作戦か、「其の無備を攻め、其の不意に出ず」という新薬作戦の、二つの戦略をとろうとしているわけだ。

科学は、仮説を立て、仮説検証と繰り返しの実証により、仮説の通説化を図る作業である。仮説を通説として標榜する科学というものに対し、警戒こそすれ盲目的な信頼を寄せてはいけない。科学的手続きに透明性が担保されていたとしても、それは常に一過性の「仮説」に過ぎず、あるパラメータ同士の相関関係が見られるからといって、必ずしも、「相関即因果」という図式は描けない。特に投薬の場合、頭痛にはアスピリン(アセチルサリチル酸、C9H8O4)を服用する人も多いが、「何故アスピリンが頭痛に効くのか?」といった単純な因果関係ですら、実はブラックボックスである。近年、アスピリンは解熱鎮痛剤としてよりも、抗血小板薬として投与されることが多く、脳血栓防止目的から脳梗塞、心筋梗塞の治療に多用されている。つまり、アスピリンの持つ鎮痛消炎作用は、血小板の働きを抑え血液の流れを良くすることから生じているのではないか? という推測の域を未だ出ていない。紀元前400年頃にヒポクラテスがヤナギの鎮痛作用に着目・利用したことに始まるサルチル酸の鎮痛消炎解熱利用は、19世紀後半にアセチルリチル酸として化学合成されたことで一般に広く普及する。しかし、アセチルリチル酸でさえ、その作用の因果関係は経験則に基づいた実証でしかない。科学は永遠の仮説であるのだ。今後開発される抗COVID19ウィルス薬や、RNA解析をリバース・エンジニアリングして合成されるであろうワクチンの人体投与が、本当に救世主のように人類を救うのかは依然として不明だ。なぜなら、ウィルスも状況に応じた変異を既に繰り返していることが分かってきており、その変異の速度に新薬やワクチン開発が追いつくのかは、まったくもって不明だからだ。それに加え、仮に有効な抗ウィルス薬やワクチンが開発されたとしても、何故、有効なのか? の原理を知るより先に、試験的な実地投与の総数を増やしていくことにより、確率割合として薬やワクチンが有効である(かもしれない)ことが実証されていくだけなのだ。

寺田寅彦は浅間山噴火の見物登山に行った学生に対する感想として、「ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしいことだと思われた」(『寺田寅彦随筆集第五巻』岩波文庫、1963)という文言を書き残している。これは、2011年の東日本大震災移以降、「正しく恐れる」という標語に変化し、広く流布し、今もウィルスの脅威を正しく恐れるという形に変換されていると思う。「正当にこわがる」と「正しく恐れる」との微妙な解釈の違いはここでは論じないが、私たちは、ウィルスと戦う手段の開発を待ち望みつつ、その一方で、ウィルスとの共生の道を探る、孫子の「実を避けて、虚を撃つ」戦法へと戦略転換した方が良いのだろうか。

3 静かなる戦争という日常

COVID19は、社会の様々な階層の人々の生活を容赦なく変化させてしまったという認識は、恐らく間違いないのだろう。コロナウィルスとの接点が高いとされる医療や物流の現場で逼迫ひっぱくするコロナとの戦闘状況に置かれている人々がいる一方、ステイホームという掛け声の下、家でのんびりと過ごす有閑の人々、生活の心配を強いられる人々、情報革命の最前線に追いやられITという新しい道具に従属する(または支配される)人々など、昨日まで平穏無事に過ごした日常が、ある時を境に一変するという状況を、世界的に共時的に経験できる機会は少ない。しかし、日常の劇的な変化は、平時においても、誰の身にも起こる可能性があることも否めない。黒澤明監督の『生きる』(1952)が描き出した平凡な男のように、癌の余命宣告を受けるだけで、凡夫であっても何かを契機に生き方や人生について振り返ることは、いつの世にもある。したがって一般的に、殊更何らかの震災害に見舞われないと、生活様式を変えられないということでは無いはずだ。黒澤映画に諭されるまでもなく、私自身も二度の大病を経て、自分の生き方や考え方を振り返り、病と共に生きるという覚悟をし、生き方を変態し、今日に至る。

何故、コロナ禍災は様々な人々の何かを刺激するのだろうか。彼らは幸福にも今まで健康体で人生を謳歌し、悩みごとといったら日々のおかずを何にするか、といった平和を絵に描いたような生活をしていたからなのだろうか。それとも、何らかの変容・変態を迫られていることを直感的に危機として感じているからなのだろうか。一般的には他者に口外するのを憚られる感染背景をもつエイズ(HIV)や、ほぼ風土病のように扱われているエボラ出血熱(EVD)、コロナウイルスの変異でいえば、2003年に流行したSARS、2012年のMERSもCOVID19と同様ウイルスの仕業であり、貴賤貧富の差なく人間であれば、誰もが罹患する可能性のある病気である。冷静になれば、COVID19にだけ、不思議な騒ぎ方をしているのは何故なのだろうか。COVID19のせいで日常が「非日常」になったというが、では、何が「日常」なのだろうか。漠然とした日常があるということを前提としているから、非日常という対立構造の概念が出てくるに過ぎないのではないだろうか。すなわち、日々の生活を、「日常」と「非日常」に分節しているのは、言葉が作りだす言語的虚構でしかなく、その虚構を合わせ鏡のように「非日常」として再帰的に自覚し、強化しているだけである。それは、身体のどこかがおかしいと感じながらも、そうしたおかしさを抱え日常を送っていた『生きる』の主人公が、ある日、突然の癌宣告を受け、自分の抱えている身体性というものに、別次元の認識を持たされることに類似しているのではないだろうか。癌宣告を受けても、日常は淡々と続く。日常とは、何も非常事態だから変化するのではなく、常日頃、個人個人の置かれる個々の状況に応じて変容・変態するものである。

では、なぜ、今回のCOVID19の一件が、そこまで重要性を帯びてくるのか。それは多分、他者、それも日本のある地域や、日本国という狭囲に限らず、存在を確かめたこともない「グローバル社会」を構成する人類全員と、COVID19という共時性と脅威を共有しているという実感なのではないだろうか。つまり、社会封鎖が行われたことにより、ある出来事を、共に経験し、共に受容し、共にその解決策に挑んでいかなくてはならないということを、引き受けざるを得なかったという実感だ。しかし、こうした脅威への共時的体験は、何もCOVID19に直面したから、いきなり露呈したというわけではない。1980年代以降、双子の地球環境問題、すなわち生物多様性損失と気候変動問題を人類への脅威とし、国連主導ではあるものの、ある種の人類共通の脅威への共時性、共有性はずっと訴求されてきている。今回の違いは、住んでいる地域にかかわらず、ウィルスという目に見えないものによって、一人一人が自覚的に感じている「生命」と、その「生命」が絶たれるかもしれないという危機に直結しているという認識を醸成し、遠くの問題が、自分の身近な問題として実感され、共有されているだけともいえる。

別の観点から言語化を試みるとすれば、COVID19がもたらした根源的課題は、アリストテレスの「人間は社会的動物である」ということの再確認であるように思う。人間が生きる環境とは、ある程度までは偶然性に基づき与えられた環境や状況であることに、何ら変わりはない。その所与の状況下において「個人がどう生きるのか」という個人としての他者や社会との関わり方が、今一度、一人一人に問いかけられているのが、COVID19がもたらした状態ではないだろうか。人は未曽有の厄災やくさいに直面しないと、根源的に、こうした問いと向き合うことができないのだろうか。だとすれば、むしろ、良いきっかけと捉え直して、社会と分断された個人が、個々人に自覚される間に、個人的な作業として、どう生きるのか、どう他者とつながり、つながり直した後(千葉雅也の『動きすぎてはいけない』(河出書房、2013)をもじって「つながりすぎてはいけない」のも一面正しい。切れたものは、切れたままにしておくのも方策かもしれない)に、どう向き合うのかということを、今だからこそ、個人個人が整理し、内生化しておかなくてはならないのだろう。今を逃すと、また、有耶無耶うやむやのうちに、忘れ去られていってしまうのだ。かつて日本の小学生なら誰でも持っていた防災頭巾とガーゼ・マスクのように。

COVID19が先進諸国に暮らす人々に自覚させたのは、グローバル経済の生活への浸透でもあった。日常であれば、多くの人々にとってマスクは生活必需品ではない。マスクの生産が国内で製造されようと、生産拠点が海外に全面移転されようと、低価格で供給される方が消費者にとっては好ましいという状況があり、誰もが無関心だったというのは、紛れもない事実だ。COVID19は、マスクや医療備品のみならず、多くの物品の生産拠点が中国にあることを人々に実感させ、グローバル社会における脆弱性を詳らかにした。アダム・スミスが『国富論』(大河内一男監訳、中公文庫、1978)で論じた「分業論」の概念は、地域や国家を超え、グローバル社会を形成する上で大いに役立ち、緩やかな経済的連帯の中でグローバル社会が確かに存在していた。中国が震源だったとしても、グローバル社会そのものが否定されるべきではない。否定されるべきは、むしろ、大量生産・大量消費・大量廃棄を可能としてしまった安い労働賃金の上に成立する資本主義の悪い側面ではないだろうか。驚くべきは、たった数年前までの日常として、小学校の給食当番の度にガーゼ・マスクを身に着け、家で洗濯して再利用してきた文化は、いつの間にか、多くの日本人の忘却の彼方に葬られているということだ。使い捨てマスクに殺到する人々の姿は哀しく、日常は、新しい日常の前では、かくも、忘却されるものに過ぎない。

また別の側面から見れば、非日常は、リベラリスト達によって巧みに隠蔽いんぺいされてきた差別という意識構造を復活させてしまった。アメリカにおいてはアジア人差別、中国においては外国人差別が日常になり、社会的スティグマの問題が復活してきている。折角LGBTQ+の人権にまで進展してきた人権の拡大プロパガンダが、人種や職種などのスティグマにより後退してしまったともいえる。日本では、看護師の子どもたちが保育園での一時預かりを拒否されたり、トラック運転手の子どもたちが学校でコロナ扱いされたりと、一部の心ない人々による、エッセンシャル・ワーカー差別の事例が散見される。社会とは、間接的にも直接的にも、一人一人の人間の仕事の集積により成立している。気づかないだけで、多くの人々の支えがあってこそ、日常(非日常も含め)は成立しているにもかかわらず、エッセンシャル・ワーカーを毛嫌いする精神構造とは何だろうか?

トラック運転手や看護婦や医師の子どもというだけで、何故、子どもたちは教育を受ける機会を奪われなければならないのか。他者がいるからこそ、自分が存在できていることを、いとも簡単に捨象できる精神構造とは、究極の個人主義の顕現なのだろうか。あるいは良くありがちなちまたにおける唯我独尊の陳腐な解釈の結果なのだろうか。

驚異の共有の際に、連帯や共感が生まれるのではなく、そこに差別と隔離の要素が強く出てくるのが現代の特徴であることを改めて実感させられる。エッセンシャル・ワーカーの人々に対し、彼らが働いてくれているお蔭で、社会が円滑に動いている「かのよう」に機能しているにもかかわらず、一部の人々は、彼らへの謝意を示すよりも、彼らも罹患者同様、汚染されたもの、あるいは汚染されつつあるものとして、差別、隔離の対象にしてしまう。なぜなのか。社会は、夏目漱石のあこがれた個人主義社会が極限まで浸透したのだろうか。それとも、テンニエス的に言えば、前近代的ゲマインシャフトからゲゼルシャフト的なものへ急速に移行した結果なのか。あるいは、デュルケム的にいえば「社会分業論」で予測されたように環節的社会が崩壊し分業が進みすぎてしまったために、個人の道徳概念まで歪んでしまった結果なのだろうか。

第二次大戦後、旧体制が組み替えられて作られた世界システム(New World Order)と、それを構成し従属する社会システムは、戦後75年の時を経て疲弊してきていること。そうしたことに多くの人間が気づきつつも、まるで慣性の法則に従うかのように、システムのほころびの維持と継続に苦心している。システムの綻びの結果としてなのか、顕現化しつつある重層構造的に分断してしまった社会は、COVID19という自然の作用により一時休符を余儀なくされている。この休符の時を利用して、サナギが蝶になるように、私たちは、再び外に出ることを許された暁に、美しく変態できているのだろうか、あるいは不幸にもサナギのまま越冬するに留まるのだろうか。

むすびに代えて──未来に託す臨機応変と謙虚という態度

本論考では、時空間の歪み、科学と技術、他者、日常と非日常、人権などのいくつかの問題についてCOVID19 と抱き合わせつつ、俯瞰ふかんするように論じてみた。そこに内在するのは、重層構造的に起きている分断という現象である。スタティック(静的)に捉えられる代わり映えのしない「日常」は、COVID19により、「非日常」を強制されたかのように受け止められるのかもしれない。しかし、人々はすぐに忘却する。「非日常」であったものは、いつの間にか「日常」に変容し、人々にとってダイナミック(動的)な変化だったはずの「非日常」も、それ自体が「日常」へと変容し定着するのだろう。見田宗介の時間概念を応用するとすれば、それは「円環的時間」と「直線的時間」の複合としての「スパイラル的時間」なのかもしれない。つまり、円環的であると同時に、それが同じ形式での繰り返しでは無いために、直線的でもあるという時間。

そうした現代的時間概念を生きる今日の私たちが、未来、すなわち未来を担う子どもたちや学生たちに、何かを託すことができるとすれば、それは、スタティックだと思うものも、気づかないだけで、実は大きなダイナミズムのうねりの一部にしか過ぎないものかもしれないというプロセス思考に基づいた謙虚な心がまえと、自然と人為の織り成すダイナミズムに呑み込まれそうになった時には、「日常」では云々といった固定概念を脱ぎ捨て、臨機応変に対処し、サナギから大空へ羽ばたく蝶のように、変態を恐れない涼やかな態度ではないだろうか。

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秋山知宏  「瀬戸際」の人類史的な意味

1 人類史のスケールでのアンテナを

コロナ禍、すなわち言われるところの未曾有の危機とは、SARS-CoV-2の世界的な感染拡大のことであろう。しかし、私たちはこの事態について、人類が適切な策を講じていないだけであって、「未曾有の危機」などとは考えていない。むしろ、SARS-CoV-2の世界的な感染拡大よりも、もっと大きな危機が今後に起こり得ると考えているのである。

SARS-CoV-2の世界的な感染拡大の根本的な原因は、抑制のない人間の生き方にあり、抑制のない資本主義社会にあると考えている。金を生むことばかりが目的化し、そのために都市をつくり、日々、満員電車に乗って職場に通う都市民を生みだしたことのみをとっても、この環境では常に感染症のリスクが高いことは自明である。これだけ密集して暮らすライフスタイルは人類史上かつてなかった。私たちは以前、「人類が滅びるシナリオの一つがパンデミック」とも書いた。この「抑制のない人間の生き方、抑制のない資本主義社会」は、気候変動などの原因ともなってきた。人為的な気候変動も感染症の拡大も原因は同じであり、近代的自我を追求する生き方を多くの人々が行ってきたことの必然的な帰結であると捉えられる。

こうした状況を私たちは、全体的破壊か、世々代々の公共幸福に向かうかの瀬戸際の一つであると考えており、この認識から発生する課題に、日々取り組んでいる、私たちなりに命懸けで。

SARS-CoV-2の世界的な感染拡大ならびに未来に起こり得る最悪のシナリオを乗り越えるためには、我々一人ひとりの生き方が変わること、それも人類全体として変わっていかねばならない。そのために今、私たちが行っていることを、以下に紹介させていただく。

一つには、世界の主要メディアのニュースを日々レビューしたり、世界全体・各国・各地域の統計データを日々収集したりしながら、世界の動向を分析し、私たちなりの全体像の構築を目指ししている。

また、世界の3大学術誌(Science、Nature、Cell)ならびに医学系学術誌データベース(Pubmed)を中心にして、最先端かつ最新の学術成果を日々分析し、状況の把握に努めている。そして、具体的な対応策が見出せれば、そのつど各国政府に打診してもいる。私たち自身の挑戦として、事業構想や研究テーマがみつかれば、世界の仲間たちと共有して実行に移す努力をしている。

こうした状況把握を基礎に、SARS-CoV-2の世界的な感染拡大の根本的な原因の分析、ならびに人類文明史の水準での捉え直しを試みている。

一つには、都市革命を通して人類が発見した都市形成という手段からの転換である。その手がかりは、とくにメガシティの長期的な見直しによる、全体最適を志向することにある。そして、都市鉱山資源をもとにまだ見ぬ地方とのつながりを発展的につくろうとするものである。すなわち、グローバル化を否定するのではなく、今こそ新しい通信手段によってつながった万人の共力が必要だということである。

さらに、人類史のスケールで目指されるべき課題として、科学革命によって人類が発見した科学という手段の発展的超越、そして精神革命を通して人類が発見した思想・宗教・哲学という手段の発展的超越が挙げられよう。

2 希望を創造する

これらの活動によって見えてきたこととして、現在人類レベルで経験していることの中に、前向きな取り組みに値し、後世につながっていくものがいくつかあると、私たちはみている。

例えば、世界でこれだけのロックダウンが可能になったのは人類史上初のことであり、それにはICT(情報通信技術)の発達が大きく貢献している。この世界的なロックダウンの副産物として、気候変動も解決できる可能性があることが実証されつつある。

ただし、必ずしもICTを応用しなしなければならないということはない。世界の人々の多くは、今まさにICTの応用と、それによる利便性の拡大に囚われている側面があると、私たちは考えている。しかし、応用することによる効果の本質的な意味はそこにはない。

例えば、人手が足りていないところはどこかについての情報を収集し、人手が余っているところとつなぐことによって、人々が本質的に必要としていることを具現化できる。もちろんこのとき、ICTを応用すれば、より広くより早く実施できる。つまり、個としての一人ひとりにとって、また人類全体にとっても、本質的に求められていること、必要とされていることを、複数の基準にわたり、何段階にもわたって追究することが可能となり、それによって本質的ではないものと縁を切り、本質的な意味をもつもののみを後世に継承発展させることができる。すなわち、改めて本質的なことがらとは何かを発見することによって、そこからさらに目的と手段の広がりを生んでいく機会にできると捉えているのである。

世界同時多発的に、科学・技術の応用ならびに組織運営の方法など、リアリティの外面的な条件にかかわる水準においてイノベーションが起きている。例えば、電磁波・放射線利用にかかわる技術革新のアイデアの登場、またそれらを仲間の経営者たちと共有することで、実際に事業に結びつけようとする努力などである。

内面的側面のイノベーションも起こり始めている。すなわち、生き方の転換である。世界同時的に多くの人々が、今まさに臨死体験をしていると捉えることもできよう。他者への思いやりを深め、行動に移す人もいるが、そうした人々は小悟に気づく機会を得ているともいえよう。そうした経験を一歩超えて、世々代々のものにまでもっていくことができたら、未来をつくる上で、きわめて前向きな道になると考えている。

社会がおちつくまでは、最低でもあと2から4カ月はかかることであろう。ワクチン開発や治療薬の臨床研究は、ClinicalTrials.govによれば、2,000以上が進行中である。ただし、最も早くに終了が予定されている臨床研究でも、2021年6月までかかる見通しである。そもそも一本鎖RNAウイルスは変異の速度が早く、ワクチンや治療薬の発見は容易ではない。

こうした事態の継続を踏まえて考えておく必要があることとして、第一に、未来を他者に委ねるのではなく、自らも修練することによって、自己免疫力や自然治癒力のみならず生き方を高め続けていく必要があると考える。第二に、打ち続くストレスに耐えられなくなり、精神を病む人が増えてくる可能性が高いということがある。新たな「気づき」や内観の練成など、これまで禅やみそぎや祈りなどが鍛え上げてきた方法は、こうした事態への対処にきわめて有効であると、私たちは実感をこめていいたいと思う。一人ひとりが人間としての真の自立を果たすことによって、それぞれの内外を無限にひらき、そうした人々が共鳴しながら共働することによって、前向きな未来をつくっていけると私たちは確信している。後世の運命は、私たちが内に秘めている囚われない純粋な願いを、今まさにアクションに移せるか否かにかかっている。

* 本稿は、秋山知宏と、アンケートの提唱者、中川和夫との対話を通してなったものである。

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